京都経済新聞の記事『大学生時代にバックパッカーから学生起業』

かつて京都にあった京都経済新聞の記事(1999年ごろ)から転載します。

■学生生活の脱力

中野が借りてきたビデオは、「スワロウテイル」という名の映画。アジア人が、日本にやってきて必死に生き延びようとする姿を描くものだ。「必死に生きようとするから非合法のことも平気でやる。逆にそこまで生きようとするエネルギーを感じた」(中野)。

1996年、中野は京都の私立大に入学した。入学直後、さまざまなサークルを経験してみる。ところが、いずれも面白くない。大学の授業でさえ身に入らない。

中野は中学、高校と「卓球少年だった」。明けても暮れても卓球の練習に打ち込んできた6年間。それが大学生活では一転して熱中できることを見つけられなかった。その理由を中野は「真剣でなかったことが原因だと思う。サークルも遊び。一方、卓球は相手がいて、真剣にやらないと負けてしまう。そういう真剣味を感じられる場があまりにもなかった」と振り返る。

そんなことを感じているときに観たのが「スワロウテイル」だ。「アジアに行ってみたい」――。中野の生活はそれから一変した。高額の報酬が得られる日雇いや短期間のアルバイトに没頭した。帰宅すると、閉店時間が迫ったスーパーへ。閉店ギリギリまで粘って、売り切りのために値引きされた弁当で食費を節約する。そうして2、3ヶ月ほどで貯めたカネを握ってアジアに飛んだ。

■たまたま見た雑誌

1ヶ月ほどインドやネパールなどに滞在して帰国。また短期のバイトを探して食費を切り詰める。2、3ヶ月ほどして貯めたお金を元にまたアジアに飛ぶ。そんな生活が半年ほど続くうちに「帰国してから次の旅費をためるための短期バイトがだんだんしんどく感じる」ようになってきた。短期間に旅費を貯めたかったため、肉体労働がメインになっていたからだ。「何とかして楽にアジアへの旅費を捻出できないだろうか」。

旅費を捻出するためのヒントはあるときたまたま見た雑誌にあった。「輸入T-シャツのネット通販をしてるイージーの岸本栄司さん(KRPスタジオ棟)のインタビュー記事が載ってたんです。その記事を見て『ネット通販をやってみよう』と考えた」。

97年の6月ごろ、パソコンを購入。届いたダンボールの箱を開けると、「光が溢れ出てくるような」雰囲気を感じた。「そのとき、直感的に自分の将来の扉から光が溢れてくるよう感覚になったんです」。
貯めたカネを手に、ネパールに行く。そこで地元の手工芸で作られたペンケースと紅茶のパックを10数個購入。帰国後、ホームページを立ち上げ、ペンケースにオマケとして紅茶のパックをつけてセットとして販売を始めた。

ところが、客から「ペンケースと紅茶のセットではなく、単品で売って欲しい」との要望が相次ぐ。ペンケースと紅茶をそれぞれ別売りにした瞬間、オマケだったはずの紅茶だけが売れ、ペンケースはすべ売れ残った。「とにかくアジアへの旅費を稼ぐことが目的だったから、悪く言うと何が売れてもよかった。岸本さんの記事に商品は特化したほうがいい、とあったから売れた紅茶を扱おうと決めた。それで、次から完全に『紅茶専門店』ということにしたんです」。

■マンネリ感からの脱却



その後も、バイトをしながら飛行機のチケット代と滞在費、そして商品の仕入れ代金を貯める生活が続く。ネパール、インド、中国のアジア各国に行っては商品を仕入れ、帰国後にネットで売る。紅茶専門店として通販を始めて1年後、月の売り上げが100万円を超えた。「その頃からやっと紅茶の通販で、海外への渡航費、仕入れ代金、そして自分の生活費までを出せるようになってきた」。

中野の“仕入れ旅行”はこんな風に進む。まずネパールやインド、中国など紅茶の産地がある現地に飛ぶと、卸売りと小売りを行っている茶商の店に行く。バックパッカーのような身なりで行くため、旅行者として紅茶を買いに来たような形になる。そこで、店主とあれこれ世間話をしたり、紅茶の話をしたりする。「その時に、その店主の人物を見るわけです。いい人であれば、必ずいい茶園と契約していい茶葉を仕入れている。そして仲良くなって、少しずつ、そして売れてきたらいっぱい仕入れさせてもらう」。

ネットで仕入れた紅茶を販売するとき、紅茶が売れる秘訣は、中野が書く仕入れ旅行記にある。仕入れでであった茶商や店主、そして茶葉農園の農園主などとの出会いをリアルにそして克明に描くメールマガジンを発行しているのだ。「メルマガの最後に注文書が付いている。メルマガ経由で購入してくれるお客さんが大半を占める。単なる紅茶に旅行記があることで、お客さんにとって付加価値が断然高まるわけです」。これまで紅茶を販売した客数は延べで1万人に迫るほど。売り上げも年間に3,000万円に達するようになってきた。この客のおよそ8割から9割がリピーターだ。

■紅茶が好きになった

順調に進んできたように見える中野の紅茶通販事業も、もちろん紆余曲折があった。一番大きな曲がり角は、「事業売り上げが安定してきたからこそ、通販が『こなすべき仕事化』したと感じるようになったこと。3年ほど、マンネリになったのではないかと悩んでいた」。

このマンネリ感から脱却するきっかけとなったのが、紅茶を購入した客から寄せられるメールだった。これまでに考えていなかったような視点から自分が仕入れた紅茶を楽しんでいる様子を伝えてきてくれる。「自分自身もお客さんと同じように紅茶を飲んでみると、お客さんが何を楽しんでいるのかが分かるようになった。事業を始める前は全然紅茶を飲んだこともなかったが、最近は自分も紅茶自体が好きになってきた」。

「これから自分の目の前でできることをきちんとやりつつ少しづつ売り上げを延ばしていきたい。そして一定程度の資金を貯めた上でやりたいことがある。何をやりたいって?それはまだ秘密です」。(敬称略)

ー以上、1999年ごろの京都経済新聞取材記事よりー

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日経ネットビジネス 1999年11月号 ●大学生、紅茶専門店で起業、開始1年で月商100万円(1999年時点)

日経ネットビジネスに掲載してもらった記事を転載します。

●大学生、紅茶専門店で起業、開始1年で月商100万円(1999年時点)

紅茶専門店「京都 SELECT SHOP」は、紅茶の輸入から買い付け、販売、配送まで学生起業家の中野光崇氏が1人で切り盛りし、月商100万円(年商1200万円ベース)を達成した。(1999年時点)

●海外旅行の資金稼ぎが発端

店主の中野氏(写真左)は、京都市内にある立命館大学の4年生(1999年時点)である。最初に中野氏が電子商店に興味を持ったのは、98年1月のことだ。ある雑誌のインターネット通販に関する記事を読んで、自分も電子商店を開いてみたいと考えるようになったと言う。ただしその当時は本格的な商売をしようと考えていたわけではなかった。

その雑誌を読んだ直後、中野氏は春休みを利用してネパールへ海外旅行(バックパッカー)に出かけた。

紅茶の仕入れ旅日記 http://www.verygoodtea.com/cat-travel/siire.html
ネパール編 http://www.verygoodtea.com/shop/travel/nepal.html

バックパッカーでたどり着いたネパールには、日本では見かけないような物珍しい商品がいろいろ売られていた。「日本に持ち帰ってWebサイトで売ったら、海外旅行の代金の足しになるかも知れない」と考えた中野氏は、異国情緒あふれる手編みのペンケースとネパール産紅茶を少々買い込んだ。帰国後、98年3月にSELECT SHOPをオープンさせ、さっそくネパールで“仕入れた”商品を売りに出した。

当初中野氏は、ペンケースが売れるだろうと予想していた。「紅茶と言えば英国というイメージが強いので、ネパールの紅茶には正直言って期待していなかった」からだ。ところが、予想に反してペンケースはあまり売れず、一方の紅茶はわずか1ヵ月半で完売した。購入者は12、3人で、売り上げは3万5000円と決して大きな数字ではなかったが、中野氏が予想していた以上の手応えだった。

●商品選択過程を公開し信頼を獲得



現在はネパールのほか、インドの商社とも取引を開始した中野氏は、現地での買い付け以外に輸入も始めた。その際40~50種類にものぼるサンプルが送られてくる中で、自らテイスティングし2~3種類を選んで発注する。「夕方サンプルが届けば徹夜になる。仕入れる紅茶を決めてメールで注文しても、既に売り切れている場合もある」と苦労の多さを漏らす。 しかし、そんな苦労さえも営業に利用している。サンプルの出来不出来をストレートにメールマガジンに記す。「ユーザーにとっても、こちらが50種類の中から2種類だけ選んだという過程が分かるから、安心して購入できるはず」という考えからだ。 また海外との商談が成立すれば、即電子商店にも告知する。これに「通」が反応し、リピーターを中心にユーザーは入荷前から紅茶の購買意欲をかき立てられる。実際、9月1日に発売した紅茶は、3日間で90人からの注文が入り、30万円以上が売れた。リピーターは70人にものぼった。

●電子商店か就職か悩む

中野氏は、SELECT SHOPの運営のすべてを自宅で行っている。実際自宅のワンルームマンションの中は、商品がいっぱいで足の踏み場もない。中野氏も「プライベートと仕事との“けじめ”が難しい」と言う。そのために現在、事務所を借りる手はずを整えている最中だ。現在同氏が打診しているのは、会社を興したばかりのベンチャー企業を支援している団体が経営する事務所。部屋がいくつかのブースに分かれており、そこを複数の企業で共有利用する。 その一方、中野氏は今後の進路に悩んでいる。大学4年生の中野氏は、通販を手がける大手企業から内定をもらっている。企業に就職して電子商店運営と“2足のわらじ”を履くか、それとも電子商店の経営に専念するか。「企業に就職していろいろ学びたいという思いもある。でも、就職したら仕事が忙しくなり、メールマガジンの執筆や買い付けなどの時間が減ってしまう」また、内定先の企業からは、そんな思いを察してか「電子商店を丸ごと買収してもいい」という申し入れも来ている。年収も新卒では考えられない高い額を提示されているというが、来年4月まで、中野氏の悩みは続きそうだ。

●メールマガジンで「うんちく」を語る

紅茶は一種の「うんちく商品」で、詳しい商品説明なしで売れるものではない。そもそも、紅茶は欧州経由で日本に入ってくるスタイルが定着している商品だが、実際に現地で紅茶が収穫されるわけではない。アジアで獲れた茶葉が欧州に出荷され、箱詰めなどの加工を経て日本に入ってくる。「だから、本当においしい紅茶は原産国にある。その上紅茶は、どの茶園で、どの年の、どの季節に収穫されたかが大きな意味を持ち、2度と同じものは生産されない」(中野氏)。電子商店でEC(電子商取引)事業を手がけるには、商品情報を発信してユーザーの理解を高めることは、重要な意味を持つ。

あとは、その情報をいかにしてユーザーに読んでもらうか。メールマガジン開始前は1日のWebへのアクセス数は10人程度で、そのうち商品情報までクリックしてくれる人はかなり少なかった。中野氏は「電話料金の高い日本では、Webに情報を盛り込んでも読んでもらえない」と分析し、思い切ってメールマガジンに営業の主体を切り替えた。「一度送信すれば電話代がかからないメールマガジンなら、気にせずに読んでもらえると思った」という予想は当たり、今や欠かせないツールになっている。

メールマガジンを5種類発行しているのは、過去の失敗から得た教訓を生かしたものだ。

実は中野氏は以前、1種類のメールマガジンを週に3回発行していた。その時、読者数が減ってしまった。そこで、異なる内容のメールマガジンを5種類発行することで、ユーザーが自分に希望に合わせて購読できるようにした。「頻度が高いと、迷惑する人がいることが分かった。自分の必要なメールマガジンにだけ登録してもらうことで、こちらも気兼ねなく発行できる」(中野氏)

もちろん読者を増やす工夫には余念がない。例えば月に3回行っているプレゼント企画では、1回につき300人程度の応募がある。その際、応募者が必要事項を記入して送信すると、送信完了の画面が現れる。そこには、応募のお礼と共に、メールマガジン購読申し込み用のフォームが現れる。

●5種類のメールマガジンで集客

SELECT SHOPの「主力営業ツール」は、中野氏自らが執筆する無料の電子メールマガジンだ。

「電子メールマガジンがあったからこそ、ここまで売り上げを伸ばせた。もしこのツールがなかったら、売り上げは現状の20パーセントくらいに過ぎないのではないか」ー。

そう胸の内を明かすのは紅茶専門店「SELECT SHOP」の中野光崇氏だ。電子商店を立ち上げてから1年3か月を経た今年6月には、ついに月商100万円を突破した。(1999年)

「このまま行けば今年の年間売上高、年商800万円は堅い。もしかすると年商1000万円を超えるかも知れない」と意気盛んだ。彼の年収は不詳。

「まぐまぐ」(http://www.mag2.com/)のシステムを利用し、主要産地の紅茶情報や仕入れ情報に商品情報を加えて登録したユーザーに送信する。1年前と比べてメールマガジンの発行部数は3倍に増えたが、それに比例するように売上高も3倍になった。

現在、SELECT SHOPが発行しているメールマガジンは全部で5種類。最も発行部数の多いメールマガジンで4500部、5種類を合計すると約1万部を発行している。メールマガジンは、紅茶のおいしい飲み方、紅茶の歴史などのうんちくをつづった「紅茶や紅茶」、販売している紅茶のテイスティングの感想を記した「SELECT SHOP通信」、紅茶に合うお菓子のレシピを紹介する「紅茶やお菓子」、当日の朝飲んだ紅茶の感想をつづった「今日のモーニングティー」、買い付けに外国に行った時のみ発行する日記形式の「紅茶や旅日記」の5つ。発行は不定期だが、5つ合計すると1ヵ月に10通を超える頻度で配信している。

「本腰を入れて販売すればもっと売れるのでは」と中野氏は意を強くした。だが、Webを開いただけではそう多くの人には見てもらえないとも認識していた。「最初は量が少なかったので検索サイトに登録するだけでもさばけたが、今後販売量が増えたら売り切れないだろうと考えた」。

●買い付け先からも情報発信

中野氏は1人でSELECT SHOPを切り盛りしているので、買い付けで日本を離れる時は電子商店を休業せざるを得ない。ともすると、顧客離れを招きそうだが、買い付け先のネパールからメールマガジンを配信することで問題を解決した。外国人向けのインターネットカフェーから送信するのだが、日本語環境がないためローマ字表記になる。内容も「ii koucha ga te ni hairisoudesu」といったものだが、ユーザーにとってはネパールからほぼリアルタイムで「現地直送の情報」が送られてくる。紅茶への購買欲求も高まろうというものだ。

中野氏は、ネパールからユーザー100人に対し絵ハガキも出した。手間はかかるが、代金はハガキ1枚25円、総額でも2500円と割安だ。実際に絵ハガキ送ったユーザーのうち40人が紅茶を購入したという。

加えて、帰国後その旅の様子を電子商店上にアップし、ユーザーが楽しみにするほどの人気ページに仕立て上げた。ユーザーにとっては、実際にどんな相手から商品を買い付けたかがわかるだけでも楽しい。

(日経ネットビジネス 1999年11月号より)

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大学生で起業ができた理由

大学生で起業しようとおもった「きっかけ」をお話します。

元々は、幼稚園の年長のとき(6歳)、祖母から言われた一言がきっかけでした。

祖母曰く:「小学生になったら、椅子に座ったまま、人の話を1時間も聞くのは可哀そうだね」

その言葉を聞いて学校で授業を聞く自分は可哀そうなんだと思いました。祖母はその時、祖父といっしょに起業した会社を経営していてサラリーマン志向のようなところが全くなく自主独立の人でした。

小学1年生では、さすがに授業をさぼるわけにはいかないので授業中は椅子に座って先生の話を聞いてましたが、中学生ぐらいになるころから授業中に別のことをしたり考えたり、高校生になったあとは朝に家を出た後は公園で昼寝をしたり本を読んだりして、学校には午後の授業終わりの終わりの会だけ出席していました。

大学を経済学部を選んだ理由は、経済や経営のことに興味あったのですが、それ以上に、大学の授業に出なくいいという話を先輩から聞いたからでした。

理系の学部に進むと、少人数制の授業が多くて出欠を取られるから授業に出ないといけないけど、文系で、かつ大人数での授業がメインの経済学部では出欠をとらないので、授業にでなくてもテストさえ受かれば単位がとれるという話でした。

立命館大学の経済学部に進みました。

授業中に生徒が私語をしていてうるさいと、大学の先生が「そんなに私語が多いなら単位はやらないぞ」と怒りながら話す先生もいました。

僕は「大学の先生の授業が面白くないから、生徒が私語をしているわけで、プロの先生として生徒が引き込まれるような面白い授業をするのが本筋じゃないか」と思い、その後、大学の授業にも出なくなりました。

月に1日ぐらい大学にいって、それ以外の日は自由に、市営の図書館にいったり、アルバイトをしたりして、起業するチャンスを伺ってました。

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中野光崇『大学生のバックパッカーから年商1億5千万の紅茶専門店へ…』(宮崎講演のまとめ)

※2014年3月9日に宮崎で行われた「宮崎合宿セミナー」の講演内容をまとめたものです。

■アジアに自由に旅したい

1998年から、ネパールやインドからの直輸入紅茶の販売を開始し、今ではインターネット販売と京都の実店舗2店で、年間1億5000万以上の売り上げをあげる「紅茶専門店 京都セレクトショップ」。紅茶好きにはたまらない、こだわりの農園の茶葉が揃う専門店だ。

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オーナーの中野光崇さん(37)がこの事業と出会ったのは大学時代。当時、バックパッカーとして、アジア各国への旅にハマっていた。大学にも通わず、1か月は住んでいた京都でひたすらアルバイト。アルバイト代が貯まったら、1か月、好きなアジアの国で過ごす。1日2000円、月に6万円もあれば十分に楽しめ、出会いや刺激にあふれている。旅先から帰国して、日本の空港に降り立ったとたんに、「次はどの国へ行こうか」と次の旅への想像で胸を膨らませていた。

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アジアの国々での日々を存分に楽しむため、日本ではできる限りの倹約生活。散髪代も旅先のほうが安いため、学生時代、日本で床屋に行ったことがなかったほど(笑)。そんな暮らしを続けているうちに、「なんとか、タダで旅に出かけられる方法はないか」と思案するように。そんななか「アジアは物価が安い。アジアで仕入れたものを、日本で売って、その売り上げで、旅が自由にできるのではないか」と思い至った。

とはいえ、本人は紅茶好きでも何でもない。初めに仕入れたのは、ネパールでのペンケース20個。何かおまけを付けて売りたいと歩いていたところ、道端で目にとまった可愛らしいパッケージの小さな袋があった。中身が紅茶であることも知らず「おまけにぴったり」と仕入れを決めた。それが、はからずもネパールの名農園の紅茶だった。

■お客様からの声で気が付いた、「おまけのほうが本命だった」!

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ペンケース20個・紅茶20個を仕入れて、日本に帰国したときの全財産はたったの1000円。これでは暮らしていけないと、翌日から引っ越しの短期バイトを2日間こなし、残りの1か月で、家にこもって、インターネットで通販用のホームページを手作りで開設した。大学生活3年目のことだ。

当時の店名は「地球の屋根からの贈り物」。アジアからのお土産さん、というイメージだ。そのホームページから、1ヶ月目に5000円、2ヶ月目に3万円売れた。金額は少ないが、翌月に6倍。「これは、伸びるのではないか」と光を感じた。同時に、お客様からのメッセージがあった。

「ペンケースとセットではなく、紅茶だけを売ってもらえませんか」

そのお客様からの声で、実は“ペンケースのおまけ”の紅茶のほうが「本命」であったことに気が付いた。紅茶にとことんこだわって飲むファンは、「ダージリン」や「アッサム」といった紅茶の種類で選んでいるのではなく、茶園を指定し「ダージリン・ネパールのキャッスルトン農園のXXXX年春摘みで、YYYY年MM月DD日に摘まれた茶葉」と、ロットナンバーまでを追及している。同じ農園の同じ茶葉でも、一日摘む日が違えば、味わいが違う―ここまでこだわるのが、紅茶好きのお客様だという。

「アジアの名農園から、直輸入でお客様が求めるこだわりの紅茶を仕入れ、売ろう」

「お客様のわがままを叶えて、自分のわがままである旅をしよう」

まだ学生で、お金はなくても体力はある。これからの事業の道が決まった瞬間だった。

■荒行の日々―ヒマラヤ山脈の麓で、ジープから置き去りに。

“お客様のわがままを叶えるために、最高級の茶葉を仕入れる”―そう決めた後の道のりは簡単なものではなかった。ネパールやインドで、紅茶の産地は往々にして僻地にある。

あるとき、ヒマラヤ山脈の農園から茶葉で仕入れようと、一般人は踏み入れない軍事用のバクドクラ空港に降り立った。空港で写真を撮ろうとすると、「お前、ここで写真を撮っていると撃たれるぞ」と脅された。そして、ジープで山道を3時間。山脈の美しさに息をのみ、車を止めてもらい、ジープを降りお客様に見せるための写真を撮っていたとき…まさかの事態で、ジープがカバンや財布をすべて乗せたまま、中野さんを乗せずに走り去ってしまう。

「このままインドで日雇い仕事をするのか・・・」思わず暗い覚悟をしたが、後にジープが戻り難を逃れた。伝染病・SARSが流行していた中国に向かった際には、毒ガス用のマスクをして仕入れに臨んだという。そうやって現地に出向き、しっかりと向き合いながら開拓した取引先、実際に仕入れを行うかどうかは、最終的には人間同士、「人柄」で決めている。

「余計なお金は使わない、と決めていたので、ダンボール30箱にもおよぶ紅茶を自分で運んでいた。一度に10箱、100メートル進んで置いたら、また戻って残りの10箱を取りに行ってまた100メートル進む。その繰り返し。短パンにビーチサンダル、ぼろぼろのバックで、京都駅でこの調子でしたから、誰も自分を日本人だと思わなかったでしょうね」と笑う。

中野さんは、こうした日々を「旅日記」としてすべて公開し、海外の仕入先から、お得意先に絵葉書を送る。「ネパールからの絵葉書の郵送料は25円。日本で葉書を送るよりも安い」と颯爽と語るのが印象的だ。

■コンセプトは、「脱欧入亜」。紅茶が美味しく飲める“鮮度”にこだわる。

アジアから直輸入をスタートして気が付いたことがある。通常アジアで摘まれた茶葉は、アジアからヨーロッパ経由で日本に入るが、そうすると、関税も物流も2倍。時間もかかって鮮度も落ちている。「直輸入であれば、関税も物流も1/2。さらに鮮度もあがる。これが21世紀の紅茶のあり方では」と自身の事業の正しさに確信を得た。

だから、売りは「鮮度」。毎年、自身が“最高品質”だと思う茶葉を仕入れ、状態を見極めて、年度ごとに慎重に価格を定めていく。そして、思い切って、通常のメーカーや百貨店での小売り品に比べて「賞味期限」をわざとかなり短く設定する。「美味しい紅茶を、美味しいうちに飲んでほしい」という気遣いの表れだ。

インターネット通販の“怪しさ”を払しょくするために、「解説をとにかくたくさん載せる」「旅日記で仕入れの過程をすべて載せる」など、工夫を凝らす。その積み重ねで、17年間、右肩上がりで売り上げを伸ばし、前年度を下回ったことはないという。

バックパッカーからはじまって、夢を見つけてさまざまな壁を乗り越えていくなかで、時にコメディタッチの珍事件が起きる様は、まるでひとつの映画のストーリーのよう。原点である自分の想いにとことん忠実に、そして「他社には決して仕入れられない、オリジナルな商品」を追及する姿勢が、長い間着実に積みあがって、大学生が立ち上げたオンラインショップは、今日も紅茶ファンの心を掴み続けている。

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中野さんの名言:

「他店では絶対に買えない、オリジナルな最高品質の紅茶を売る」

<関連リンク>

紅茶専門店 京都セレクトショップ

※本記事は、2014年3月9日に宮崎で行われた「宮崎合宿セミナー『市場創造』」でのオーナー中野光崇氏の講演内容をまとめたものでした。

ーーー以上ーーー

*補足* 当時1998年ごろの日本は、沢木耕太郎の小説「深夜特急」や、それをもとにした猿岩石のパックパッカー旅行がテレビで放映されて、アジアをバックパッカーする若者、大学生がとても多かった。

山一証券などが倒産して日本の若者の就職難があり、戦後の高度成長期からいっぺんに低成長、マイナス成長になっていった時代で日本に閉塞感がありそこに嫌気がさした若者がアジアを目指した。

バックパッカーでたどり着いたアジアの町で沈没(その町に住み着く)するものもいたり、そこで得たアジアのエネルギーを受けて日本で起業したり、また独自の道を行く若者も多かった時代です。

ちょうどそのころ、インターネットが社会の中にでてきて浸透していって、もしかしたら、このインターネットでなにか新しい将来がでてくるのではないかという雰囲気がありました。

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