※2014年3月9日に宮崎で行われた「宮崎合宿セミナー」の講演内容をまとめたものです。
■アジアに自由に旅したい
1998年から、ネパールやインドからの直輸入紅茶の販売を開始し、今ではインターネット販売と京都の実店舗2店で、年間1億5000万以上の売り上げをあげる「紅茶専門店 京都セレクトショップ」。紅茶好きにはたまらない、こだわりの農園の茶葉が揃う専門店だ。
オーナーの中野光崇さん(37)がこの事業と出会ったのは大学時代。当時、バックパッカーとして、アジア各国への旅にハマっていた。大学にも通わず、1か月は住んでいた京都でひたすらアルバイト。アルバイト代が貯まったら、1か月、好きなアジアの国で過ごす。1日2000円、月に6万円もあれば十分に楽しめ、出会いや刺激にあふれている。旅先から帰国して、日本の空港に降り立ったとたんに、「次はどの国へ行こうか」と次の旅への想像で胸を膨らませていた。
アジアの国々での日々を存分に楽しむため、日本ではできる限りの倹約生活。散髪代も旅先のほうが安いため、学生時代、日本で床屋に行ったことがなかったほど(笑)。そんな暮らしを続けているうちに、「なんとか、タダで旅に出かけられる方法はないか」と思案するように。そんななか「アジアは物価が安い。アジアで仕入れたものを、日本で売って、その売り上げで、旅が自由にできるのではないか」と思い至った。
とはいえ、本人は紅茶好きでも何でもない。初めに仕入れたのは、ネパールでのペンケース20個。何かおまけを付けて売りたいと歩いていたところ、道端で目にとまった可愛らしいパッケージの小さな袋があった。中身が紅茶であることも知らず「おまけにぴったり」と仕入れを決めた。それが、はからずもネパールの名農園の紅茶だった。
■お客様からの声で気が付いた、「おまけのほうが本命だった」!
ペンケース20個・紅茶20個を仕入れて、日本に帰国したときの全財産はたったの1000円。これでは暮らしていけないと、翌日から引っ越しの短期バイトを2日間こなし、残りの1か月で、家にこもって、インターネットで通販用のホームページを手作りで開設した。大学生活3年目のことだ。
当時の店名は「地球の屋根からの贈り物」。アジアからのお土産さん、というイメージだ。そのホームページから、1ヶ月目に5000円、2ヶ月目に3万円売れた。金額は少ないが、翌月に6倍。「これは、伸びるのではないか」と光を感じた。同時に、お客様からのメッセージがあった。
「ペンケースとセットではなく、紅茶だけを売ってもらえませんか」
そのお客様からの声で、実は“ペンケースのおまけ”の紅茶のほうが「本命」であったことに気が付いた。紅茶にとことんこだわって飲むファンは、「ダージリン」や「アッサム」といった紅茶の種類で選んでいるのではなく、茶園を指定し「ダージリン・ネパールのキャッスルトン農園のXXXX年春摘みで、YYYY年MM月DD日に摘まれた茶葉」と、ロットナンバーまでを追及している。同じ農園の同じ茶葉でも、一日摘む日が違えば、味わいが違う―ここまでこだわるのが、紅茶好きのお客様だという。
「アジアの名農園から、直輸入でお客様が求めるこだわりの紅茶を仕入れ、売ろう」
「お客様のわがままを叶えて、自分のわがままである旅をしよう」
まだ学生で、お金はなくても体力はある。これからの事業の道が決まった瞬間だった。
■荒行の日々―ヒマラヤ山脈の麓で、ジープから置き去りに。
“お客様のわがままを叶えるために、最高級の茶葉を仕入れる”―そう決めた後の道のりは簡単なものではなかった。ネパールやインドで、紅茶の産地は往々にして僻地にある。
あるとき、ヒマラヤ山脈の農園から茶葉で仕入れようと、一般人は踏み入れない軍事用のバクドクラ空港に降り立った。空港で写真を撮ろうとすると、「お前、ここで写真を撮っていると撃たれるぞ」と脅された。そして、ジープで山道を3時間。山脈の美しさに息をのみ、車を止めてもらい、ジープを降りお客様に見せるための写真を撮っていたとき…まさかの事態で、ジープがカバンや財布をすべて乗せたまま、中野さんを乗せずに走り去ってしまう。
「このままインドで日雇い仕事をするのか・・・」思わず暗い覚悟をしたが、後にジープが戻り難を逃れた。伝染病・SARSが流行していた中国に向かった際には、毒ガス用のマスクをして仕入れに臨んだという。そうやって現地に出向き、しっかりと向き合いながら開拓した取引先、実際に仕入れを行うかどうかは、最終的には人間同士、「人柄」で決めている。
「余計なお金は使わない、と決めていたので、ダンボール30箱にもおよぶ紅茶を自分で運んでいた。一度に10箱、100メートル進んで置いたら、また戻って残りの10箱を取りに行ってまた100メートル進む。その繰り返し。短パンにビーチサンダル、ぼろぼろのバックで、京都駅でこの調子でしたから、誰も自分を日本人だと思わなかったでしょうね」と笑う。
中野さんは、こうした日々を「旅日記」としてすべて公開し、海外の仕入先から、お得意先に絵葉書を送る。「ネパールからの絵葉書の郵送料は25円。日本で葉書を送るよりも安い」と颯爽と語るのが印象的だ。
■コンセプトは、「脱欧入亜」。紅茶が美味しく飲める“鮮度”にこだわる。
アジアから直輸入をスタートして気が付いたことがある。通常アジアで摘まれた茶葉は、アジアからヨーロッパ経由で日本に入るが、そうすると、関税も物流も2倍。時間もかかって鮮度も落ちている。「直輸入であれば、関税も物流も1/2。さらに鮮度もあがる。これが21世紀の紅茶のあり方では」と自身の事業の正しさに確信を得た。
だから、売りは「鮮度」。毎年、自身が“最高品質”だと思う茶葉を仕入れ、状態を見極めて、年度ごとに慎重に価格を定めていく。そして、思い切って、通常のメーカーや百貨店での小売り品に比べて「賞味期限」をわざとかなり短く設定する。「美味しい紅茶を、美味しいうちに飲んでほしい」という気遣いの表れだ。
インターネット通販の“怪しさ”を払しょくするために、「解説をとにかくたくさん載せる」「旅日記で仕入れの過程をすべて載せる」など、工夫を凝らす。その積み重ねで、17年間、右肩上がりで売り上げを伸ばし、前年度を下回ったことはないという。
バックパッカーからはじまって、夢を見つけてさまざまな壁を乗り越えていくなかで、時にコメディタッチの珍事件が起きる様は、まるでひとつの映画のストーリーのよう。原点である自分の想いにとことん忠実に、そして「他社には決して仕入れられない、オリジナルな商品」を追及する姿勢が、長い間着実に積みあがって、大学生が立ち上げたオンラインショップは、今日も紅茶ファンの心を掴み続けている。
中野さんの名言:
「他店では絶対に買えない、オリジナルな最高品質の紅茶を売る」
<関連リンク>
※本記事は、2014年3月9日に宮崎で行われた「宮崎合宿セミナー『市場創造』」でのオーナー中野光崇氏の講演内容をまとめたものでした。
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*補足* 当時1998年ごろの日本は、沢木耕太郎の小説「深夜特急」や、それをもとにした猿岩石のパックパッカー旅行がテレビで放映されて、アジアをバックパッカーする若者、大学生がとても多かった。
山一証券などが倒産して日本の若者の就職難があり、戦後の高度成長期からいっぺんに低成長、マイナス成長になっていった時代で日本に閉塞感がありそこに嫌気がさした若者がアジアを目指した。
バックパッカーでたどり着いたアジアの町で沈没(その町に住み着く)するものもいたり、そこで得たアジアのエネルギーを受けて日本で起業したり、また独自の道を行く若者も多かった時代です。
ちょうどそのころ、インターネットが社会の中にでてきて浸透していって、もしかしたら、このインターネットでなにか新しい将来がでてくるのではないかという雰囲気がありました。